2010年 05月 18日
朱雀の将軍 5
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土煙が俟って、地で一回転したスジニが片手をついた。。
「おいおい、そのくらいにしとけ。お前、朱雀将軍に敵うとでも思ったのか。こいつは猿みたいに身軽なんだ。」
起き上がったスジニは片膝をついて顔を顰めた。右手首を押さえてぶらぶら動かしながら口を尖らせている。シウ族の青年が肩で息をしながら座り込み、膝の間に頭を下げてぜいぜいと咳き込んだ。申し訳ありません、というように頭を振るとそのまま大の字に寝転んだ。
「お前な、指揮官なんだぞ。」
取り巻いた兵が差し出す手を取ると、スジニは跳ね起きてもう一度手首を振った。
「最近ヤケクソみたいに鍛錬しているようだが、いや今のはただの喧嘩の練習だな?」
黙りこくってチュムチの軽口にも答えず、手首を揉みながら下を向いている。
「若いの相手に相撲なんかとるな。お前みたいなのはー」
やっ、と気合いを発して、スジニがチュムチの隙を狙った。足払いをかけ、素早く後ろに回り込むと膝裏を突いて背面に倒そうとする。すんでのところで距離感を誤り、腕をたぐって引き込まれるとその勢いで肩に担ぎ上げられた。取り囲む兵がどっと歓声を上げた。
「下ろしてよ、ちょっと、下ろせー!」
「惜しかったな。俺に仕掛けるとは十年、いや百年早い!」
訓練が終わったというのに、練兵場はヤンヤの騒ぎになった。チョロは仕方がない、という顔をして騒ぎの輪を通り過ぎた。
「何の騒ぎだ?」
内官を従えた王が立ち止まった。
「弓隊を見ようと思ったが、終わってしまったようだな。」
チョロは頭を下げてその場に控えた。下ろせ!叫びと笑い声が近づいてきた。チュムチが朱雀将軍を担いだまま大股で近づいてくると、両手で軽々と腰を支え、宙で回して足から地に下ろした。
「王様、我が軍の弓隊を指揮する朱雀将軍です。あ、ご存知でしたね。」
スジニの顔が赤らんだ。王はにやにやと笑いながらチュムチに向き合った。
「女こども、年寄りに手を出さないと言っていたが、やはり例外があるな?」
チュムチがにやりと笑って返した。
「ええ、王様、これは女ではありません、スジニーいや朱雀の将軍です。俺に足払いを決めやがった。まったく油断なりません。」
向き直って見下ろすようにチュムチが言う。
「将軍が取っ組み合いに備えるなんて縁起でもないやつだ。うちの若いのをやっつけやがった。まったくなんて女だ。」
「今女じゃないと言わなかった?」
「お前のようなのは奇襲と弓矢にこそ向いてるんだ。俺が加減しなかったら身体が二つに折れてるな。」
「本当〜〜に私のことをよくわかってるね。」
ポンポンと言い返すスジニに王の目が注がれた。そうだ、こういうやつだった。弾むような活気は本来の明るさが戻ったようでタムドクには喜ばしかったが、そこに滲むかすかな無理も感じた。去った年月の間にスジニの物言いは静かで用心深いものになった。それは隠れ住む放浪の暮らしをうかがわせ、タムドクの胸の底に引っかかっていた。
視線を捉えられたスジニは目をそらした。革の軽い胴着をつけていたが、頭の先から埃まみれで頬に土塊がついていた。
「朱雀将軍、また日を改めて見せてもらう」
長い指がスジニの頬の土塊を拭った。
「どうした。」
チョロの問いにスジニが振り向いた。
「どうってー」
練兵場に二人だけが残されていた。
「苛ついている。」
しん、と静かに聞き手に回る様子に、スジニはすぐ観念して言葉を継いだ。
「天の力がある間は、おかしいけれどなんとなくね、何があっても王様はご無事だと思っていたみたい。でもアブルランサで血を流す王様を見て、それはそれは恐かった…カウリ剣でも大丈夫だった方が、今度こそ死んでしまうかもしれないと思って。」
チョロはただ黙って聞き入った。
「ー次の戦はちょっと恐い。」
「心配が高じて苛ついて暴れているのか。」
「そんなわけー子どもじゃあるまいし。手加減されるのはむかつくけどね。」
チョロは笑いを堪えたような意外そうな顔を上げた。その顔に、ますますスジニは不服だった。
「相手はチュムチだ。」
何の関係があるのかと、今度はスジニが意外そうな顔をした。身の丈六尺を超える傭兵上がりのチュムチに手加減されて本気で怒っているのかーチョロは呆れながらも面白くなった。チョロにとってスジニはいつもあまりに真っすぐだった。
「我流だろう?」
チョロが真顔で立ち上がった。何だ、と見ていると槍を構えてスッと足を引く。上半身と頭は全く動かず、狙いを見据えたまま数歩進めた。鋭く突いて手繰る。槍の型だった。
「何事にも理屈がある。こういうものは無駄がない。一旦身に付けば自然に動けるようになる。」
「そういうのはどうも苦手で。」
弓を武術として学んだことはなかった。そういう意味ではチュムチと同じ実戦派、野戦派である。
「無駄ではないからやってみるのもいい。」
話は終わったというように、チョロは行ってしまった。
王様を守る、そのために自分が強くなる。将軍として兵を率いるようになっても、スジニの思いは単純だった。チュムチに手加減されても以前は腹が立つことなどなかった。試すように左膝をつき、右膝を立てる。土を蹴って飛び、一回転する間に矢筒から抜いてつがえ、右膝をついた体勢で射た。槍を肩に掛けて歩いて行くチョロの背後で、ごく細い幹の真ん中、人の胸の高さに正確に刺さった。驚いた兵士が振り向き、朱雀将軍を見てあっと声をあげると矢とスジニを交互に見た。チョロが振り向いて、ほんの少しだけ口元を上げて歩き去った。何事か考え込んだスジニは矢を取りに向かった。パソンの矢を一本も無駄にはできない。
「おいおい、そのくらいにしとけ。お前、朱雀将軍に敵うとでも思ったのか。こいつは猿みたいに身軽なんだ。」
起き上がったスジニは片膝をついて顔を顰めた。右手首を押さえてぶらぶら動かしながら口を尖らせている。シウ族の青年が肩で息をしながら座り込み、膝の間に頭を下げてぜいぜいと咳き込んだ。申し訳ありません、というように頭を振るとそのまま大の字に寝転んだ。
「お前な、指揮官なんだぞ。」
取り巻いた兵が差し出す手を取ると、スジニは跳ね起きてもう一度手首を振った。
「最近ヤケクソみたいに鍛錬しているようだが、いや今のはただの喧嘩の練習だな?」
黙りこくってチュムチの軽口にも答えず、手首を揉みながら下を向いている。
「若いの相手に相撲なんかとるな。お前みたいなのはー」
やっ、と気合いを発して、スジニがチュムチの隙を狙った。足払いをかけ、素早く後ろに回り込むと膝裏を突いて背面に倒そうとする。すんでのところで距離感を誤り、腕をたぐって引き込まれるとその勢いで肩に担ぎ上げられた。取り囲む兵がどっと歓声を上げた。
「下ろしてよ、ちょっと、下ろせー!」
「惜しかったな。俺に仕掛けるとは十年、いや百年早い!」
訓練が終わったというのに、練兵場はヤンヤの騒ぎになった。チョロは仕方がない、という顔をして騒ぎの輪を通り過ぎた。
「何の騒ぎだ?」
内官を従えた王が立ち止まった。
「弓隊を見ようと思ったが、終わってしまったようだな。」
チョロは頭を下げてその場に控えた。下ろせ!叫びと笑い声が近づいてきた。チュムチが朱雀将軍を担いだまま大股で近づいてくると、両手で軽々と腰を支え、宙で回して足から地に下ろした。
「王様、我が軍の弓隊を指揮する朱雀将軍です。あ、ご存知でしたね。」
スジニの顔が赤らんだ。王はにやにやと笑いながらチュムチに向き合った。
「女こども、年寄りに手を出さないと言っていたが、やはり例外があるな?」
チュムチがにやりと笑って返した。
「ええ、王様、これは女ではありません、スジニーいや朱雀の将軍です。俺に足払いを決めやがった。まったく油断なりません。」
向き直って見下ろすようにチュムチが言う。
「将軍が取っ組み合いに備えるなんて縁起でもないやつだ。うちの若いのをやっつけやがった。まったくなんて女だ。」
「今女じゃないと言わなかった?」
「お前のようなのは奇襲と弓矢にこそ向いてるんだ。俺が加減しなかったら身体が二つに折れてるな。」
「本当〜〜に私のことをよくわかってるね。」
ポンポンと言い返すスジニに王の目が注がれた。そうだ、こういうやつだった。弾むような活気は本来の明るさが戻ったようでタムドクには喜ばしかったが、そこに滲むかすかな無理も感じた。去った年月の間にスジニの物言いは静かで用心深いものになった。それは隠れ住む放浪の暮らしをうかがわせ、タムドクの胸の底に引っかかっていた。
視線を捉えられたスジニは目をそらした。革の軽い胴着をつけていたが、頭の先から埃まみれで頬に土塊がついていた。
「朱雀将軍、また日を改めて見せてもらう」
長い指がスジニの頬の土塊を拭った。
「どうした。」
チョロの問いにスジニが振り向いた。
「どうってー」
練兵場に二人だけが残されていた。
「苛ついている。」
しん、と静かに聞き手に回る様子に、スジニはすぐ観念して言葉を継いだ。
「天の力がある間は、おかしいけれどなんとなくね、何があっても王様はご無事だと思っていたみたい。でもアブルランサで血を流す王様を見て、それはそれは恐かった…カウリ剣でも大丈夫だった方が、今度こそ死んでしまうかもしれないと思って。」
チョロはただ黙って聞き入った。
「ー次の戦はちょっと恐い。」
「心配が高じて苛ついて暴れているのか。」
「そんなわけー子どもじゃあるまいし。手加減されるのはむかつくけどね。」
チョロは笑いを堪えたような意外そうな顔を上げた。その顔に、ますますスジニは不服だった。
「相手はチュムチだ。」
何の関係があるのかと、今度はスジニが意外そうな顔をした。身の丈六尺を超える傭兵上がりのチュムチに手加減されて本気で怒っているのかーチョロは呆れながらも面白くなった。チョロにとってスジニはいつもあまりに真っすぐだった。
「我流だろう?」
チョロが真顔で立ち上がった。何だ、と見ていると槍を構えてスッと足を引く。上半身と頭は全く動かず、狙いを見据えたまま数歩進めた。鋭く突いて手繰る。槍の型だった。
「何事にも理屈がある。こういうものは無駄がない。一旦身に付けば自然に動けるようになる。」
「そういうのはどうも苦手で。」
弓を武術として学んだことはなかった。そういう意味ではチュムチと同じ実戦派、野戦派である。
「無駄ではないからやってみるのもいい。」
話は終わったというように、チョロは行ってしまった。
王様を守る、そのために自分が強くなる。将軍として兵を率いるようになっても、スジニの思いは単純だった。チュムチに手加減されても以前は腹が立つことなどなかった。試すように左膝をつき、右膝を立てる。土を蹴って飛び、一回転する間に矢筒から抜いてつがえ、右膝をついた体勢で射た。槍を肩に掛けて歩いて行くチョロの背後で、ごく細い幹の真ん中、人の胸の高さに正確に刺さった。驚いた兵士が振り向き、朱雀将軍を見てあっと声をあげると矢とスジニを交互に見た。チョロが振り向いて、ほんの少しだけ口元を上げて歩き去った。何事か考え込んだスジニは矢を取りに向かった。パソンの矢を一本も無駄にはできない。
by kuro-kmd
| 2010-05-18 15:46
| 朱雀の将軍