2010年 08月 01日
軍神2_1 緒戦
|
二日の行軍の後、契丹と高句麗の連合軍は夫餘の陣を眼下に納めていた。南方の国境のような山城もなく、ただ漫然と低く連なる山の背がその地を分けているに過ぎない。それでも明らかに線引きされた大地の、尾根のこちら側に向けて大きく進軍した夫餘は、慣れない地形に戸惑っているような野営地を敷いていた。しかしその数五千。契丹を攻めるには、数に頼んで余りある兵力だ。
連合軍は地の利を最大に活かした。国境の山を背にした平原は、慣れない目には見渡す限り遮るものがないように見える。あまりにも高低差がなだらかで一面同じようなまばらな草原だからだ。常より広く見渡せば窪地があり、灌木が水脈を表している。夜半、暗闇の中を軍は静かに動き始めた。三軍に分けた騎馬隊がそれぞれ契丹兵に導かれて動く。兵が不思議なほどすっぽりと窪地に潜んだと聞いて、王の片頬に薄い笑いが浮かんだ。アティラの頭の中には、すでに完璧な布陣があった。
太王は敵軍正面、数里引いた岩陰で朝日を待った。およそ千を本陣に残している。契丹軍は二千。あわせて六千の連合軍は数でも勝るが、一騎当千のチュシン騎馬隊に王は万全の信頼を寄せていた。右翼に展開したスジニのほうを遠く眺めやる。弓隊を率いたスジニは、駆け去る前に胸を叩いてみせた。いつものスジニだ。さすがに今日は盾を持ち、それをうるさそうにして手綱を捌いた。
「思い切りいけ。しかし」
「生きて戻ります。一人の兵も無駄に死なせません。」
ごく簡潔に、いつも言われることを繰り返す。柔らかく王が笑った。よし。頷くとスジニが馬首を返す。弓隊の先頭に出ると、音もなく駆け去った。
地平線が真っ赤に燃える。草原の日の出。それが合図だった。砂地に吸い込まれた蹄の音は、ただ不気味な地鳴りとなった。それでも夫餘軍は夜を徹して警戒していたと見える。たちまち陣から騎馬隊が流れ出し、居並んで陣形を作った。
夫餘から見れば、草原から高句麗軍が湧いて出たようなものだったろう。両側から挟みこまれ、陣を出るそばから雨のように矢が射かけられる。完全包囲を狙って、連合軍の左右からの攻めはすぐさま背後に回り込み始めた。
流れ出た夫餘の大隊がそれを迎え撃った。激突する騎馬同士の後方から、また雨のような矢が野営地の中へ降り注ぐ。高楼の見張りがまず射落とされ、これで敵陣は目を失ったことになった。アティラは高句麗の矢の飛距離に舌を巻いた。射てはすぐに下がり、射手が素早く入れ替わる。夫餘の陣は混乱を極めているに違いない。
先頭でぶつかる騎馬の中にスジニの姿があった。腰だけで馬を操り、自在に射る。やがて矢が尽きると、兵が素早く替わりの矢筒を背負わせた。立て続けに矢を放つ連射はスジニが最も得意とするところで、一旦狙うと五騎ほどがばたばたと倒れる。やがて敵がさらに近くなると、両軍とも入り乱れて弓を捨て抜刀した。どこに身につけていたのか、スジニがすらりと刀を抜く。たいそう細身な刀身が朝日に煌めいた。華奢だが鍛え抜いた鋼は槍を払っても刃こぼれ一つなく、スジニは改めてパソンの腕に感嘆した。軽い。斬るよりは突けと言われていたのを思い出し、スジニは薙ぎ払っては突くことを繰り返す。血飛沫が宙を舞い、一瞬の間を得て、スジニはようやく額に貼り付いた髪を払った。
太王と首領は、駒を並べて正面から戦況を眺めていた。ほんの少し小高いために、手に取るように状況が見える。太王が頷き、馬を進めた。並足だったのがすぐさま早駆けに変わる。ようやく放たれ、高揚した大隊がその後を追った。数百もの高句麗の旗を掲げ、真正面から怒濤のように迫る騎馬の軍勢は、戦意を削ぐのに余りあった。陣から走り出た一隊の中に、首領級の鎧姿がある。あれが司令官か。覚悟を決めたのか、真っすぐに斬り込んできた。
矢が降り注ぐ。数本を身に受けてなお、真っすぐに太王を狙って疾走する。抜刀した王の青毛が跳んだ。長剣が光を弾く。一刀のもとに斬り捨て、どさりと落馬する音に、アティラは自分の首筋の毛が逆立つのを感じた。逆光で真っ暗に影が落ち、まるで炎が燃え立つように光に縁取られた太王の姿—。夫餘軍の足が止まり、そこへ騎馬隊が雄叫びを上げて傾れ込んでいった。
アティラは一小隊とともにそれを見送った。顔色一つ変えず、息も乱さず、太王はただ正面を見やっている。刀身を振って血を払うと、そのまま刀で遠く正面を指してみせた。陣を捨て、夫餘軍の敗走が始まっていた。背後に控える戦力が読めないため、今日は深く追わぬことになっている。日が中天に達しないうちにひとまずの勝敗は決まっていた。
連合軍は地の利を最大に活かした。国境の山を背にした平原は、慣れない目には見渡す限り遮るものがないように見える。あまりにも高低差がなだらかで一面同じようなまばらな草原だからだ。常より広く見渡せば窪地があり、灌木が水脈を表している。夜半、暗闇の中を軍は静かに動き始めた。三軍に分けた騎馬隊がそれぞれ契丹兵に導かれて動く。兵が不思議なほどすっぽりと窪地に潜んだと聞いて、王の片頬に薄い笑いが浮かんだ。アティラの頭の中には、すでに完璧な布陣があった。
太王は敵軍正面、数里引いた岩陰で朝日を待った。およそ千を本陣に残している。契丹軍は二千。あわせて六千の連合軍は数でも勝るが、一騎当千のチュシン騎馬隊に王は万全の信頼を寄せていた。右翼に展開したスジニのほうを遠く眺めやる。弓隊を率いたスジニは、駆け去る前に胸を叩いてみせた。いつものスジニだ。さすがに今日は盾を持ち、それをうるさそうにして手綱を捌いた。
「思い切りいけ。しかし」
「生きて戻ります。一人の兵も無駄に死なせません。」
ごく簡潔に、いつも言われることを繰り返す。柔らかく王が笑った。よし。頷くとスジニが馬首を返す。弓隊の先頭に出ると、音もなく駆け去った。
地平線が真っ赤に燃える。草原の日の出。それが合図だった。砂地に吸い込まれた蹄の音は、ただ不気味な地鳴りとなった。それでも夫餘軍は夜を徹して警戒していたと見える。たちまち陣から騎馬隊が流れ出し、居並んで陣形を作った。
夫餘から見れば、草原から高句麗軍が湧いて出たようなものだったろう。両側から挟みこまれ、陣を出るそばから雨のように矢が射かけられる。完全包囲を狙って、連合軍の左右からの攻めはすぐさま背後に回り込み始めた。
流れ出た夫餘の大隊がそれを迎え撃った。激突する騎馬同士の後方から、また雨のような矢が野営地の中へ降り注ぐ。高楼の見張りがまず射落とされ、これで敵陣は目を失ったことになった。アティラは高句麗の矢の飛距離に舌を巻いた。射てはすぐに下がり、射手が素早く入れ替わる。夫餘の陣は混乱を極めているに違いない。
先頭でぶつかる騎馬の中にスジニの姿があった。腰だけで馬を操り、自在に射る。やがて矢が尽きると、兵が素早く替わりの矢筒を背負わせた。立て続けに矢を放つ連射はスジニが最も得意とするところで、一旦狙うと五騎ほどがばたばたと倒れる。やがて敵がさらに近くなると、両軍とも入り乱れて弓を捨て抜刀した。どこに身につけていたのか、スジニがすらりと刀を抜く。たいそう細身な刀身が朝日に煌めいた。華奢だが鍛え抜いた鋼は槍を払っても刃こぼれ一つなく、スジニは改めてパソンの腕に感嘆した。軽い。斬るよりは突けと言われていたのを思い出し、スジニは薙ぎ払っては突くことを繰り返す。血飛沫が宙を舞い、一瞬の間を得て、スジニはようやく額に貼り付いた髪を払った。
太王と首領は、駒を並べて正面から戦況を眺めていた。ほんの少し小高いために、手に取るように状況が見える。太王が頷き、馬を進めた。並足だったのがすぐさま早駆けに変わる。ようやく放たれ、高揚した大隊がその後を追った。数百もの高句麗の旗を掲げ、真正面から怒濤のように迫る騎馬の軍勢は、戦意を削ぐのに余りあった。陣から走り出た一隊の中に、首領級の鎧姿がある。あれが司令官か。覚悟を決めたのか、真っすぐに斬り込んできた。
矢が降り注ぐ。数本を身に受けてなお、真っすぐに太王を狙って疾走する。抜刀した王の青毛が跳んだ。長剣が光を弾く。一刀のもとに斬り捨て、どさりと落馬する音に、アティラは自分の首筋の毛が逆立つのを感じた。逆光で真っ暗に影が落ち、まるで炎が燃え立つように光に縁取られた太王の姿—。夫餘軍の足が止まり、そこへ騎馬隊が雄叫びを上げて傾れ込んでいった。
アティラは一小隊とともにそれを見送った。顔色一つ変えず、息も乱さず、太王はただ正面を見やっている。刀身を振って血を払うと、そのまま刀で遠く正面を指してみせた。陣を捨て、夫餘軍の敗走が始まっていた。背後に控える戦力が読めないため、今日は深く追わぬことになっている。日が中天に達しないうちにひとまずの勝敗は決まっていた。
by kuro-kmd
| 2010-08-01 14:54
| 軍神