2010年 08月 02日
軍神4_2 初霜
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全騎馬隊は最速で前線に移動。兵站部の三分の一も後を追え。残る兵站部と守備兵は、契丹軍と協力して帰路の備えを万全に整えよ。天候に関する情報を集め、詳細に記録し、全てを前線に知らせるように。医術者は毒の分析をし、こちらも詳細に記録せよ。
背後に控えた書記が、太王の矢継ぎ早の命令を大急ぎで記録する。間に合わずに二名の書記が交互に筆を走らせていた。王は夫餘との初戦をすべて記録しようとしていた。
「去年はいつ雪が消えた?」
王の問いに、契丹の武将が応じながら訝しんだ。初雪ではなく雪解け?王は本格的な北方攻めを視野に入れはじめていたが、みな気がついていなかった。答を書記に引き継ぐと、王は将軍の一人を招き寄せ、歩きながら手短に言った。
「わたしについてこられる者を三百。二百でもいい。」
そう言い残して天幕を出る。すぐに飛ぶように走り出し、ジンシクが抑えた青毛の手綱を取った。脚がひらりと高く舞い、瞬時に馬上の人となる。続々と駆け集まる早馬部隊を見やりながら、続いて鞍に飛び乗ったジンシクに声をかけた。
「遅れたら置いていく。その場で後続を待て。」
目だけで頷いた侍従の返事を待たずに陣の中を駆け抜け、そのまま早駆けで出て行った。恐ろしい勢いで騎馬隊が続く。残された軍は一斉に動き出した。後続の騎馬隊が馬首を並べ、兵站部が荷を改めに走り回った。
*
ふらつく身体を槍で支え、ようやくスジニは立っていた。それでも時とともに吐き気はおさまり、だんだん『まし』になっている、とスジニは思った。
「アティラ—首領は」
スジニの問いに、契丹兵が短く答える。まだ吐き戻しているが、馬には乗れると、仰っています。それはどうだろう。先ほどまでの自分を思い、スジニが薄く笑った。
続々と報告が入る。幸いコムルの術者は今のところ軽度だ。脂汗を流しているがさほど吐かずに収まっている。スジニは症状で全兵を分けるように指示した。立ち上がれない者、歩ける者、乗馬できる者。歩けない者は運ぶ算段をしなければならない。どうやらこの毒ではそうそう死者は出ない。時間さえあれば回復することはわかったが、敵襲のおそれがある。できるだけ速やかに本陣と合流しなければならなかった。
大鳥が舞っている。コムル人は這うようにして高台を目指した。それを両側から兵が支える。スジニは祈るように、よい知らせだけを待っていた。のろのろと人が動く。立ち上がれないほどの者は少ないが、半数以上がふらふらしていた。高台につきそった兵が転がるように走ってきた。
「国境線に常駐の夫餘軍が集まりつつあります。」
本来の国境警備の軍隊だ。敗残兵からの情報で毒の効果ををうかがっているのかもしれない。昨日の攻撃で敵軍はほぼ殲滅。相当な痛手を負っている。夫餘の王都からは五日、味方の本陣から三日の距離だ。報復の可能性はかなり低いはずだがいかに。王様ならどうするか—考え込んだスジニに、よろめく足音が近づいた。
「朱雀将軍」
アティラも槍で身体を支え、やつれた顔に苦笑いを浮かべている。
「面目ない格好だ。」
互いに苦笑する。
「毒殺など女のすることだ。」
吐き捨てるように言った後、慌てた。
「まったくその通りだ。」
静かにスジニが応じる。ほっとしたようにアティラが息を吐いた。
「どうなさる」
ほんの数時間で、自分もアティラもどうにか歩いている。案外毒性が低いのか、流水に対して量が少なかったのか。もし、思いつきで逃げながら投入したのならば、そう大したものが用意できるわけがない。
「もう一晩ここで粘る。どうやら明日にも敵襲という状況ではなさそうだ。こちらにとっての一晩は大きい。回復すれば三千以上の堅固な軍だ。」
淡々と答え、まっすぐにアティラを見た。契丹の首領は、青白く色が抜けたような将軍の顔を見つめた。一晩で顎が尖り、やつれて濃い蔭が落ちている。
「了解した。」
取り巻いていた両軍の将軍たちも頷いた。大鳥がまた舞っている。騎馬隊が向かっていると、心強い知らせをその脚に付けていた。
背後に控えた書記が、太王の矢継ぎ早の命令を大急ぎで記録する。間に合わずに二名の書記が交互に筆を走らせていた。王は夫餘との初戦をすべて記録しようとしていた。
「去年はいつ雪が消えた?」
王の問いに、契丹の武将が応じながら訝しんだ。初雪ではなく雪解け?王は本格的な北方攻めを視野に入れはじめていたが、みな気がついていなかった。答を書記に引き継ぐと、王は将軍の一人を招き寄せ、歩きながら手短に言った。
「わたしについてこられる者を三百。二百でもいい。」
そう言い残して天幕を出る。すぐに飛ぶように走り出し、ジンシクが抑えた青毛の手綱を取った。脚がひらりと高く舞い、瞬時に馬上の人となる。続々と駆け集まる早馬部隊を見やりながら、続いて鞍に飛び乗ったジンシクに声をかけた。
「遅れたら置いていく。その場で後続を待て。」
目だけで頷いた侍従の返事を待たずに陣の中を駆け抜け、そのまま早駆けで出て行った。恐ろしい勢いで騎馬隊が続く。残された軍は一斉に動き出した。後続の騎馬隊が馬首を並べ、兵站部が荷を改めに走り回った。
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ふらつく身体を槍で支え、ようやくスジニは立っていた。それでも時とともに吐き気はおさまり、だんだん『まし』になっている、とスジニは思った。
「アティラ—首領は」
スジニの問いに、契丹兵が短く答える。まだ吐き戻しているが、馬には乗れると、仰っています。それはどうだろう。先ほどまでの自分を思い、スジニが薄く笑った。
続々と報告が入る。幸いコムルの術者は今のところ軽度だ。脂汗を流しているがさほど吐かずに収まっている。スジニは症状で全兵を分けるように指示した。立ち上がれない者、歩ける者、乗馬できる者。歩けない者は運ぶ算段をしなければならない。どうやらこの毒ではそうそう死者は出ない。時間さえあれば回復することはわかったが、敵襲のおそれがある。できるだけ速やかに本陣と合流しなければならなかった。
大鳥が舞っている。コムル人は這うようにして高台を目指した。それを両側から兵が支える。スジニは祈るように、よい知らせだけを待っていた。のろのろと人が動く。立ち上がれないほどの者は少ないが、半数以上がふらふらしていた。高台につきそった兵が転がるように走ってきた。
「国境線に常駐の夫餘軍が集まりつつあります。」
本来の国境警備の軍隊だ。敗残兵からの情報で毒の効果ををうかがっているのかもしれない。昨日の攻撃で敵軍はほぼ殲滅。相当な痛手を負っている。夫餘の王都からは五日、味方の本陣から三日の距離だ。報復の可能性はかなり低いはずだがいかに。王様ならどうするか—考え込んだスジニに、よろめく足音が近づいた。
「朱雀将軍」
アティラも槍で身体を支え、やつれた顔に苦笑いを浮かべている。
「面目ない格好だ。」
互いに苦笑する。
「毒殺など女のすることだ。」
吐き捨てるように言った後、慌てた。
「まったくその通りだ。」
静かにスジニが応じる。ほっとしたようにアティラが息を吐いた。
「どうなさる」
ほんの数時間で、自分もアティラもどうにか歩いている。案外毒性が低いのか、流水に対して量が少なかったのか。もし、思いつきで逃げながら投入したのならば、そう大したものが用意できるわけがない。
「もう一晩ここで粘る。どうやら明日にも敵襲という状況ではなさそうだ。こちらにとっての一晩は大きい。回復すれば三千以上の堅固な軍だ。」
淡々と答え、まっすぐにアティラを見た。契丹の首領は、青白く色が抜けたような将軍の顔を見つめた。一晩で顎が尖り、やつれて濃い蔭が落ちている。
「了解した。」
取り巻いていた両軍の将軍たちも頷いた。大鳥がまた舞っている。騎馬隊が向かっていると、心強い知らせをその脚に付けていた。
by kuro-kmd
| 2010-08-02 19:42
| 軍神