2010年 09月 03日
冬の日-----太王の侍従・2-----
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満遍なく薄膜を張ったような雲に覆われて、太陽が鈍色に透けていた。戸口から振り返ると屋内は真っ暗で、貧しい民の垢じみた臭いがする。
「将軍の添え木を調節してほしいので迎えにきたんだ。あの者らは来る途中で一緒になった。」
先生は目を眇めて聞いていたが、そのまま入口に寝かされた男に向かって屈み込んだ。ここにも人が居たのかとぎょっとする。胸を抑えて呻く男に、先生が声をかけた。
「おい、息をすると痛むか」
こくこくと男が頷く。しゃがみ込んで肉の薄い胸を探り、口の端に溜まった血の泡を見て、先生の顔がわずかに顰められた。
「あばらが二本折れとる。これはただつながるのを待つしかできん。少し横になっておれ。」
そのまま外に出て行くのに従った。何枚も重ねた衣で膨れた体がとぼとぼと歩を運ぶ。あれは死ぬかもしれんな。不意に呟いて足が止まった。
「えっ、あばらが折れて死ぬのか。」
「血を吐いておったろう。肺臓に骨が刺さっとる。」
呆然とした。そういうこともあるのか。いきなり巻き込まれた騒ぎでとうとう死人が出そうだ。腕やら脚やら、大岩に薙ぎ倒された人々をあっという間に四人も修繕し、ひとりには死を予告し、爺は雪を被った樹の下につくねんと立っている。
「まるで戦だな。こんなことはよくあるのか。」
「よくあってたまるか。わしは家の業のまま医術をやったが、人が死ぬのが大嫌いでな。流行病なんぞに比べてみろ、骨を継いでくれと来るやつはあまり死なんものだ。」
それでもあいつはどうかなと、心底嫌そうに首を振り、寒さに凍える手をすり合わせた。
「王城には炭がたくさんあろうな?ちっと融通しろ。」
いきなりの無心に、開いた口が塞がらない。
「褒美を頂いたんじゃないのか。」
「あれはあれ、これはこれだ。そうだな、炭と布をくれたら、お前の別嬪さんの添え木を直すよ。」
ようやく思い至ってはっとした。あの者らに入り用なのか。
あばら屋には五人が横たわり、荷車を引いてきた者らが座り込んで足の踏み場もない。コムル人は、乱暴に片寄せられた骨やら書きつけを見て、ため息をついていた。
「まさか骨がつくまで面倒をみるのか?」
「そんなわけなかろう。それでも、いちんち二日は見てやらにゃならん。すぐ戻ってくることがあるからな。」
「戻ってくる?」
「色が変わり腐り始めた時だ。そうしたら切り落とす。」
「き…」
絶句したこちらを、小さな目がぎろりと見た。戦で斬るのとはわけが違う。助けようとする相手に刃物を当てるとは、つくづく恐ろしい。
「切り落としても死ぬときは死ぬが、どうせ全身が腐れば命はない。お前だって脚一本なくしても生きていたいだろう。」
「そ、それはわからん。お役にたてないのならば生きていても仕方がないかもしれん。」
ひひひと発せられた例の笑いに、うっすらと揶揄が混じったように感じたのは気のせいか。
「若い武人は威勢がいいのう。将軍にお仕えできなきゃ死んだも同じか。」
「あのな、そもそもおれは太王陛下の侍従なんだ。」
「じゃあ将軍付きはただの幸運か。」
またぞろ揶揄いの種にされている。将軍付き?思わずため息がもれ、それがますます爺を喜ばせた。
「な、炭と布をよこせ。」
「おれのような下っ端は、物資を勝手にいじることなどできん。」
そこではたと閃いた。ああ、ようやく光明がさした。
「陛下にお願いすればいい。民を助けるのだから、きっと聞き届けてくださる。」
爺の目が細くなり、横目をこちらに流した。ふうん?諾とも否ともつかない音を出し、黙っている。
「宮殿に来てくれよ。将軍の添え木を直してくれ。中で動いて痛みがあるそうだから。」
「腫れが引いたな。めでたし、めでたしだ。しかしあの者らを置いて出かけるわけにはいかんぞ。」
一筋縄ではいかない爺だ。手を揉み合わせながら丸めた灰色の背に、声には出さず悪態をついた。
「将軍の添え木を調節してほしいので迎えにきたんだ。あの者らは来る途中で一緒になった。」
先生は目を眇めて聞いていたが、そのまま入口に寝かされた男に向かって屈み込んだ。ここにも人が居たのかとぎょっとする。胸を抑えて呻く男に、先生が声をかけた。
「おい、息をすると痛むか」
こくこくと男が頷く。しゃがみ込んで肉の薄い胸を探り、口の端に溜まった血の泡を見て、先生の顔がわずかに顰められた。
「あばらが二本折れとる。これはただつながるのを待つしかできん。少し横になっておれ。」
そのまま外に出て行くのに従った。何枚も重ねた衣で膨れた体がとぼとぼと歩を運ぶ。あれは死ぬかもしれんな。不意に呟いて足が止まった。
「えっ、あばらが折れて死ぬのか。」
「血を吐いておったろう。肺臓に骨が刺さっとる。」
呆然とした。そういうこともあるのか。いきなり巻き込まれた騒ぎでとうとう死人が出そうだ。腕やら脚やら、大岩に薙ぎ倒された人々をあっという間に四人も修繕し、ひとりには死を予告し、爺は雪を被った樹の下につくねんと立っている。
「まるで戦だな。こんなことはよくあるのか。」
「よくあってたまるか。わしは家の業のまま医術をやったが、人が死ぬのが大嫌いでな。流行病なんぞに比べてみろ、骨を継いでくれと来るやつはあまり死なんものだ。」
それでもあいつはどうかなと、心底嫌そうに首を振り、寒さに凍える手をすり合わせた。
「王城には炭がたくさんあろうな?ちっと融通しろ。」
いきなりの無心に、開いた口が塞がらない。
「褒美を頂いたんじゃないのか。」
「あれはあれ、これはこれだ。そうだな、炭と布をくれたら、お前の別嬪さんの添え木を直すよ。」
ようやく思い至ってはっとした。あの者らに入り用なのか。
あばら屋には五人が横たわり、荷車を引いてきた者らが座り込んで足の踏み場もない。コムル人は、乱暴に片寄せられた骨やら書きつけを見て、ため息をついていた。
「まさか骨がつくまで面倒をみるのか?」
「そんなわけなかろう。それでも、いちんち二日は見てやらにゃならん。すぐ戻ってくることがあるからな。」
「戻ってくる?」
「色が変わり腐り始めた時だ。そうしたら切り落とす。」
「き…」
絶句したこちらを、小さな目がぎろりと見た。戦で斬るのとはわけが違う。助けようとする相手に刃物を当てるとは、つくづく恐ろしい。
「切り落としても死ぬときは死ぬが、どうせ全身が腐れば命はない。お前だって脚一本なくしても生きていたいだろう。」
「そ、それはわからん。お役にたてないのならば生きていても仕方がないかもしれん。」
ひひひと発せられた例の笑いに、うっすらと揶揄が混じったように感じたのは気のせいか。
「若い武人は威勢がいいのう。将軍にお仕えできなきゃ死んだも同じか。」
「あのな、そもそもおれは太王陛下の侍従なんだ。」
「じゃあ将軍付きはただの幸運か。」
またぞろ揶揄いの種にされている。将軍付き?思わずため息がもれ、それがますます爺を喜ばせた。
「な、炭と布をよこせ。」
「おれのような下っ端は、物資を勝手にいじることなどできん。」
そこではたと閃いた。ああ、ようやく光明がさした。
「陛下にお願いすればいい。民を助けるのだから、きっと聞き届けてくださる。」
爺の目が細くなり、横目をこちらに流した。ふうん?諾とも否ともつかない音を出し、黙っている。
「宮殿に来てくれよ。将軍の添え木を直してくれ。中で動いて痛みがあるそうだから。」
「腫れが引いたな。めでたし、めでたしだ。しかしあの者らを置いて出かけるわけにはいかんぞ。」
一筋縄ではいかない爺だ。手を揉み合わせながら丸めた灰色の背に、声には出さず悪態をついた。
by kuro-kmd
| 2010-09-03 10:41
| 冬の日