2010年 10月 06日
もうひとりのタムドク 3
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どうも長くなっちゃいますねぇ…
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明けて更に翌日。約束の刻限が近づいていた。だだっ広い野の真ん中を、切るように進んでいた一隊が止まった。太王の青毛とスジニの栗毛が並び、近衛兵が周りを固めている。
一行が止まったのは、ちょうど契丹から遼東に踏み込もうかという辺りだった。北側から遼東に入るのは初めてだ。後燕の目と鼻の先にたった二百で立ち尽くし、スジニは落ち着かなそうに辺りを見回した。アティラが呼び寄せた兵がはるか遠く、山城を囲むようにじりじりと距離と詰めているはずだ。まだその気配もなく、スジニはもう一度コムル人を振り向いた。首を横に振られて苛々と鐙を踏みつける。美しい鈍青の絹が、革の長靴に踏まれ、鐙の上でいやな音を立てて裂けた。ああ…。ジンシクの呟きに、スジニが耳ざとく難癖をつけた。
「なに」
「いえ、申し訳ありません。」
やりとりを聞いていた太王が吹き出した。ぷりぷりと絹の裾を捌きながら、スジニは不機嫌の絶頂にいた。
だいたい、王様は何を考えているんだろう。同じ名前の男が遼東の王を名乗っている。しかもそれは北魏と後燕から、領土をもらった王だというのだから!王様とその者をごっちゃにしている者までいるというじゃないか。高句麗の太王が、北魏皇帝から領土を「もらう」!?そんなことを言わせて放っておくなんてどうかしている。しかもこうして大人しく招待に応じて出向くなんて。向こうが来ればいいのだ。
「また口の悪いことを考えているな?頼むからそのまま胸にしまっていろ。」
悪戯っぽく煌めいた目が、上から下へとスジニを眺めた。
「よく似合ってるじゃないか。」
もう少しで叫び出すところを、スジニはかろうじて押え込んだ。火でも飲み込んだような顔をしている。身に着けている絹は、今朝方山城から届いたものだった。
使者に続いて、今度は贈り物が届いたという。通り一遍の兵糧のほかに、気の利いた布包みがあった。いつものように全てを改めようとしていたスジニの手が止まっていた。気のない様子で目録をたぐっていた太王の手も止まり、頭を廻してスジニに向かって読み上げた。
「塩半俵、麦二俵、絹衣一着?」
広げられた鈍青のそれは、北魏の女人の衣だろうか、細く腰を締めた丈の長い上着は、腰下に長い切り込みが入り、歩くとひらひらと裾が割れそうなつくりだった。鮮やかな藤色の、襞のない裳が合わせられている。
「一体何を考えているんでしょうか。わたしに武装するなということですか?」
「女将軍に絹を贈るという趣味はわからんが、どうせ武器は外されるぞ。」
「馬鹿にしています。わたしは軍人として行きます。」
「そう言わずに着てみせてやれ。」
太王が真顔で絹を眺めた。
「着たらどうなります?」
「穏やかな会合に同意したというところかな。」
「着なければ?」
「絹がお気に召さずに鎧で行けば、少しは警戒するだろう。」
スジニは少し考え込んだ。上着だけを取り上げると、そのまま被って裾を伸ばした。
「ではこれで行きます。」
動くと裾が割れ、ぴったりと腰についた袴と膝上まである長靴がのぞいた。細腰が強調され、すらりと伸びた脚の線がいつもより艶かしく見える。
「…ずいぶん半端だな。」
「裳などつけては、なにかあった時に困ります。」
そのまま裾をひらひらさせて、スジニは天幕を出て行った。
ようやくコムル人が頷いた。アティラ率いる契丹軍が、有事の際には応戦可能な範囲に入ったということだ。スジニが頷くと、近衛兵が隊形を整える。ゆったりと動き出した太王の一行は、すぐに山城から駆けてきた迎えの一騎に出会った。
「これは離宮と言うのでは?」
城門の脇でスジニが呟く。高い塀に囲まれた豪奢な建物は、樹々にさえぎられて軒先しか見えない。いかにも守備のための防塁という形をしているから、ごく普通の山城にあれこれ手を加えたのだろう。
太王が城門をくぐることはないとあらかじめ伝えてあった。案内の騎馬は、お世辞にも上手いとはいえない騎乗ぶりでひょろひょろと城を素通りし、一行を先導していく。やがて湿り気を帯びた風が吹きはじめ、向こう岸が見渡せるほどの穏やかな川べりに出た。
大きな赤い幕が張り巡らされ、薄い天幕がいくつも重なって建っている。よく見れば、彫刻を施した小舟が浮かび、長い竿をさした船頭がそれをあやつっていた。
「あれは趣味が悪い」
スジニが呟く。天幕の側まで近づいて行くと、馬を預かろうと出迎える者らが轡を取った。ほっそりとした若者たちだ。薄青の衣を着て、眉墨をさしている。自らの馬を引いた近衛兵たちは、守備位置を確認しながら、狐につままれたような顔をして真っ白な顔の小姓たちを見つめていた。
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明けて更に翌日。約束の刻限が近づいていた。だだっ広い野の真ん中を、切るように進んでいた一隊が止まった。太王の青毛とスジニの栗毛が並び、近衛兵が周りを固めている。
一行が止まったのは、ちょうど契丹から遼東に踏み込もうかという辺りだった。北側から遼東に入るのは初めてだ。後燕の目と鼻の先にたった二百で立ち尽くし、スジニは落ち着かなそうに辺りを見回した。アティラが呼び寄せた兵がはるか遠く、山城を囲むようにじりじりと距離と詰めているはずだ。まだその気配もなく、スジニはもう一度コムル人を振り向いた。首を横に振られて苛々と鐙を踏みつける。美しい鈍青の絹が、革の長靴に踏まれ、鐙の上でいやな音を立てて裂けた。ああ…。ジンシクの呟きに、スジニが耳ざとく難癖をつけた。
「なに」
「いえ、申し訳ありません。」
やりとりを聞いていた太王が吹き出した。ぷりぷりと絹の裾を捌きながら、スジニは不機嫌の絶頂にいた。
だいたい、王様は何を考えているんだろう。同じ名前の男が遼東の王を名乗っている。しかもそれは北魏と後燕から、領土をもらった王だというのだから!王様とその者をごっちゃにしている者までいるというじゃないか。高句麗の太王が、北魏皇帝から領土を「もらう」!?そんなことを言わせて放っておくなんてどうかしている。しかもこうして大人しく招待に応じて出向くなんて。向こうが来ればいいのだ。
「また口の悪いことを考えているな?頼むからそのまま胸にしまっていろ。」
悪戯っぽく煌めいた目が、上から下へとスジニを眺めた。
「よく似合ってるじゃないか。」
もう少しで叫び出すところを、スジニはかろうじて押え込んだ。火でも飲み込んだような顔をしている。身に着けている絹は、今朝方山城から届いたものだった。
使者に続いて、今度は贈り物が届いたという。通り一遍の兵糧のほかに、気の利いた布包みがあった。いつものように全てを改めようとしていたスジニの手が止まっていた。気のない様子で目録をたぐっていた太王の手も止まり、頭を廻してスジニに向かって読み上げた。
「塩半俵、麦二俵、絹衣一着?」
広げられた鈍青のそれは、北魏の女人の衣だろうか、細く腰を締めた丈の長い上着は、腰下に長い切り込みが入り、歩くとひらひらと裾が割れそうなつくりだった。鮮やかな藤色の、襞のない裳が合わせられている。
「一体何を考えているんでしょうか。わたしに武装するなということですか?」
「女将軍に絹を贈るという趣味はわからんが、どうせ武器は外されるぞ。」
「馬鹿にしています。わたしは軍人として行きます。」
「そう言わずに着てみせてやれ。」
太王が真顔で絹を眺めた。
「着たらどうなります?」
「穏やかな会合に同意したというところかな。」
「着なければ?」
「絹がお気に召さずに鎧で行けば、少しは警戒するだろう。」
スジニは少し考え込んだ。上着だけを取り上げると、そのまま被って裾を伸ばした。
「ではこれで行きます。」
動くと裾が割れ、ぴったりと腰についた袴と膝上まである長靴がのぞいた。細腰が強調され、すらりと伸びた脚の線がいつもより艶かしく見える。
「…ずいぶん半端だな。」
「裳などつけては、なにかあった時に困ります。」
そのまま裾をひらひらさせて、スジニは天幕を出て行った。
ようやくコムル人が頷いた。アティラ率いる契丹軍が、有事の際には応戦可能な範囲に入ったということだ。スジニが頷くと、近衛兵が隊形を整える。ゆったりと動き出した太王の一行は、すぐに山城から駆けてきた迎えの一騎に出会った。
「これは離宮と言うのでは?」
城門の脇でスジニが呟く。高い塀に囲まれた豪奢な建物は、樹々にさえぎられて軒先しか見えない。いかにも守備のための防塁という形をしているから、ごく普通の山城にあれこれ手を加えたのだろう。
太王が城門をくぐることはないとあらかじめ伝えてあった。案内の騎馬は、お世辞にも上手いとはいえない騎乗ぶりでひょろひょろと城を素通りし、一行を先導していく。やがて湿り気を帯びた風が吹きはじめ、向こう岸が見渡せるほどの穏やかな川べりに出た。
大きな赤い幕が張り巡らされ、薄い天幕がいくつも重なって建っている。よく見れば、彫刻を施した小舟が浮かび、長い竿をさした船頭がそれをあやつっていた。
「あれは趣味が悪い」
スジニが呟く。天幕の側まで近づいて行くと、馬を預かろうと出迎える者らが轡を取った。ほっそりとした若者たちだ。薄青の衣を着て、眉墨をさしている。自らの馬を引いた近衛兵たちは、守備位置を確認しながら、狐につままれたような顔をして真っ白な顔の小姓たちを見つめていた。
by kuro-kmd
| 2010-10-06 20:41
| 遼東にて