2011年 06月 23日
こんなことも、あったかもね
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ソフトですw
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薄い壁で仕切られた船底は穏やかな水面にぺたりと浮かんで、行軍とは思えぬ穏やかさだ。確かに、ただ流されているような道行きである。闇に紛れて息を殺した船団は、剛胆な者から順にとっぷりと眠りに落ちていた。
穴蔵のような船倉への入り口には急な梯子がかけられていた。血気に逸ったシウ族の若者が二度も転げ落ち、それを笑ったスジニだった。おおげさに眉をしかめて頭を廻したチュムチが輩下を蹴り飛ばそうとする。すんでのところで逃れた若者は四つ足のまま飛び退り、スジニもタムドクも、改めて声を上げて笑ったのだった。
鎧の下に付ける上下は墨染めの黒で、若い王の肢体は翻るように闇に消えた。真夜中、灯火は絞れるだけ絞られ、足先で梯子を探るしかない。王の背を追うのは習慣で、今も咄嗟に追いかけたスジニだったが、さきほど駆け込んだタムドクの寝所が不意に目前に蘇った。
王のものにしてはあまりに粗末な、板のような寝台の部屋。悪夢にうなされ、汗に濡れた首筋。苦しげな呻き。痛いほどすがられて、抱きとめた広い肩。自分には踏み込めない場所がある、ちいさな哀しみが灯った瞬間だった。タムドクを追うのを、スジニは初めて躊躇った。
滑らかな拍子で梯子を降りていた足先が不意に乱れた。ひとつ踏み外してがたりと崩れ、侮るように片手だけで支えていた身体は背中から落ちた。
「わ・・・!?」
宙を掻いた二の腕が強い力で掴まれた。背中は何か固いものにぶつかって止まった。同時に口を塞がれ、スジニの上げた叫び声は半分かき消えた。
「みなが起きるぞ」
耳元で囁いた口調も慌てている。掌で口を塞がれたスジニも、腕を回したタムドクも、揃って大きな鼾を聞いた。いくつも重なった鼾が、低く船倉に響いている。得体の知れない地鳴りのような、あるいは聞き慣れぬ虫の声のような。強者どもは夢の中。タムドクが先に笑った。
「ちょ、ふぁなしてくらふぁい」
もがきながらもごもごと呟く。新たな微笑みを浮かべたタムドクは、抱きとったままのしなやかな身体を確かめるように床に降ろした。背中から抱いたまま、口を覆った手は緩まない。またスジニがもがいた。頬が火のように熱かった。
「ふぁなして」
口を開いたスジニの舌が、ざらりとした掌を感じ、そこに残ったかすかな汗を舐めた。いつものようにじゃれあっている時なら、噛まれる、そう感じるところだろう。ひと掴みにした頬に指が食い込んでいる。掌の中に、半ば開いた柔らかな唇があった。タムドクは急いで手を離し、腕の中の身体を乱暴に回した。
──みなが起きる
同じことを繰り返す声色は、先ほどより格段に低い。急に秘めごとのようになったやりとりに、スジニの鼓動が跳ね上がった。ますます頬が燃える。間近に見下ろすタムドクの瞳が、遠い灯火を映してかすかに光った。
すでに口元は自由になっていたが、見つめられたスジニは声をなくした。不意に空気が動いた。抱きすくめられたまま、何か暖かいものが唇を塞いだ。今度はもっと柔らかなものだった。
「王さ・・・」
黙れ。
押し付けられた唇が噛むように動いたが、実際には無言だった。スジニの頭の中で、もう一度王の声がした。
黙っていろ。頼むから。
こんなのはずるい。こんな不意打ちは。
包むように抱かれたまま唇を合わせて息が止まっていた。強張ったスジニの頭の芯は次第にぼやけ、ふ、と力が抜けて固い腕に身体を任せた。
それを機にゆっくりと唇が離れた。固い胸に頭が抱え込まれ、今では熱い体温を感じる。胸を突き破りそうな鼓動がじかに伝わりそうな気がして、スジニはまた身を捩った。押しつぶされた胸が、固く巻いた胸帯の下で否応なく感じられた。いつもは自分でも忘れている柔らかなふくらみ──
「頼み・・・って・・・王様、ご用なんですか?」
かすれて震える声が、タムドクを我に返した。陽が昇れば戦いに赴き、弓を引いて存分に戦うはずの華奢な腕。おそろしい速さで矢を継ぐスジニの細い手首を、王の手が検分するようにゆっくりと掴んだ。
「ああ。お前に頼みたい」
顔を合わせないまま、タムドクは後ろ手にスジニを引いていった。はじめての出陣で、同じ陣にこうして愛おしい者がいる。この上ない幸運に我知らず小さな笑みが浮かんでいた。急くように大股になったタムドクの背後で、スジニの心臓はますます飛び跳ねた。暖かく柔らかな唇の感触と、主の囁きが蜜のように全身を覆っていた。
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薄い壁で仕切られた船底は穏やかな水面にぺたりと浮かんで、行軍とは思えぬ穏やかさだ。確かに、ただ流されているような道行きである。闇に紛れて息を殺した船団は、剛胆な者から順にとっぷりと眠りに落ちていた。
穴蔵のような船倉への入り口には急な梯子がかけられていた。血気に逸ったシウ族の若者が二度も転げ落ち、それを笑ったスジニだった。おおげさに眉をしかめて頭を廻したチュムチが輩下を蹴り飛ばそうとする。すんでのところで逃れた若者は四つ足のまま飛び退り、スジニもタムドクも、改めて声を上げて笑ったのだった。
鎧の下に付ける上下は墨染めの黒で、若い王の肢体は翻るように闇に消えた。真夜中、灯火は絞れるだけ絞られ、足先で梯子を探るしかない。王の背を追うのは習慣で、今も咄嗟に追いかけたスジニだったが、さきほど駆け込んだタムドクの寝所が不意に目前に蘇った。
王のものにしてはあまりに粗末な、板のような寝台の部屋。悪夢にうなされ、汗に濡れた首筋。苦しげな呻き。痛いほどすがられて、抱きとめた広い肩。自分には踏み込めない場所がある、ちいさな哀しみが灯った瞬間だった。タムドクを追うのを、スジニは初めて躊躇った。
滑らかな拍子で梯子を降りていた足先が不意に乱れた。ひとつ踏み外してがたりと崩れ、侮るように片手だけで支えていた身体は背中から落ちた。
「わ・・・!?」
宙を掻いた二の腕が強い力で掴まれた。背中は何か固いものにぶつかって止まった。同時に口を塞がれ、スジニの上げた叫び声は半分かき消えた。
「みなが起きるぞ」
耳元で囁いた口調も慌てている。掌で口を塞がれたスジニも、腕を回したタムドクも、揃って大きな鼾を聞いた。いくつも重なった鼾が、低く船倉に響いている。得体の知れない地鳴りのような、あるいは聞き慣れぬ虫の声のような。強者どもは夢の中。タムドクが先に笑った。
「ちょ、ふぁなしてくらふぁい」
もがきながらもごもごと呟く。新たな微笑みを浮かべたタムドクは、抱きとったままのしなやかな身体を確かめるように床に降ろした。背中から抱いたまま、口を覆った手は緩まない。またスジニがもがいた。頬が火のように熱かった。
「ふぁなして」
口を開いたスジニの舌が、ざらりとした掌を感じ、そこに残ったかすかな汗を舐めた。いつものようにじゃれあっている時なら、噛まれる、そう感じるところだろう。ひと掴みにした頬に指が食い込んでいる。掌の中に、半ば開いた柔らかな唇があった。タムドクは急いで手を離し、腕の中の身体を乱暴に回した。
──みなが起きる
同じことを繰り返す声色は、先ほどより格段に低い。急に秘めごとのようになったやりとりに、スジニの鼓動が跳ね上がった。ますます頬が燃える。間近に見下ろすタムドクの瞳が、遠い灯火を映してかすかに光った。
すでに口元は自由になっていたが、見つめられたスジニは声をなくした。不意に空気が動いた。抱きすくめられたまま、何か暖かいものが唇を塞いだ。今度はもっと柔らかなものだった。
「王さ・・・」
黙れ。
押し付けられた唇が噛むように動いたが、実際には無言だった。スジニの頭の中で、もう一度王の声がした。
黙っていろ。頼むから。
こんなのはずるい。こんな不意打ちは。
包むように抱かれたまま唇を合わせて息が止まっていた。強張ったスジニの頭の芯は次第にぼやけ、ふ、と力が抜けて固い腕に身体を任せた。
それを機にゆっくりと唇が離れた。固い胸に頭が抱え込まれ、今では熱い体温を感じる。胸を突き破りそうな鼓動がじかに伝わりそうな気がして、スジニはまた身を捩った。押しつぶされた胸が、固く巻いた胸帯の下で否応なく感じられた。いつもは自分でも忘れている柔らかなふくらみ──
「頼み・・・って・・・王様、ご用なんですか?」
かすれて震える声が、タムドクを我に返した。陽が昇れば戦いに赴き、弓を引いて存分に戦うはずの華奢な腕。おそろしい速さで矢を継ぐスジニの細い手首を、王の手が検分するようにゆっくりと掴んだ。
「ああ。お前に頼みたい」
顔を合わせないまま、タムドクは後ろ手にスジニを引いていった。はじめての出陣で、同じ陣にこうして愛おしい者がいる。この上ない幸運に我知らず小さな笑みが浮かんでいた。急くように大股になったタムドクの背後で、スジニの心臓はますます飛び跳ねた。暖かく柔らかな唇の感触と、主の囁きが蜜のように全身を覆っていた。
by kuro-kmd
| 2011-06-23 22:36
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